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東京高等裁判所 平成10年(行ケ)359号 判決

原告

科学技術振興事業団

代表者理事長

【A】

訴訟代理人弁理士

【B】

【C】

被告

特許庁長官【D】

指定代理人

【E】

【F】

【G】

【H】

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成9年審判第11477号事件について、平成10年9月24日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年8月15日、名称を「キメラモノクローナル抗体及びその製造方法」(後に「キメラモノクローナル抗体の製造方法」と補正)とする発明(以下「本願特許発明」という。)につき、特許出願(特願昭59-169370号)をしたが、平成9年1月28日に拒絶査定を受けたので、同年7月17日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を、平成9年審判第11477号事件として審理した上、平成10年9月24日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年10月21日、原告に送達された。

2  本願特許発明の請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨

マウスの抗体産生細胞のDNAから単離した活性なVHとVL遺伝子、及び、ヒトDNAから単離したCHとCL遺伝子を、VLの下流にCLを、VHの下流にCHをエンハンサー部が含まれるようにそれぞれ配列して発現ベクターに挿入し、該発現ベクターを形質細胞腫に導入し、ここにおいてキメラ抗体産生遺伝子をスプライシング現象を伴う遺伝子組み換えにより形成することを特徴とするマウス由来の可変領域とヒト由来の定常領域からなるキメラモノクローナル抗体の製造方法。

3  審決の理由

審決は、別紙審決書写し記載のとおり、本願発明が、「G.L.Boulianne et al.,Abstracs of papers presented at the meeting on Ce11u1ar and Molecular Bio1ogy of Neoplasia October 2nd-October 6th 1983,poster no.25」(以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用例発明」という。)並びに「Joumal of Molecular and Applied Genetics,vol.2,P.147-159 (1983)」(以下「周知例1」という。)、「Nature,vol.289,p.373-382(1981)」(以下「周知例2」という。)及び「Nature,vol.309,p.364-367(1984 May)」(以下「周知例3」という。)に記載された周知の技術的事項に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。

第3原告主張の取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例及び周知例1~3の各記載事項の認定、引用例発明の認定の一部(審決書8頁1~9行)、本願発明と引用例発明との各相違点の認定(同9頁7~19行)は、いずれも認める。

審決は、引用例発明の解釈を誤って本願発明との一致点を誤認し(取消事由1)、相違点①及び②についての判断を誤った(取消事由2、3)ものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  一致点の誤認(取消事由1)

審決においては、本願発明と引用例発明の対比を行っているが、そもそも引用例発明は、どのような構成からなるものか特定できる程度に開示されていない未完成発明(単なるアイデアが記載されているにすぎない。)であり、該未完成発明と本願発明とを対比すること自体に無理があり、このことにより、一致点の認定の誤りを発生させている。すなわち、引用例の発行時の技術水準からみて、引用例発明は、以下に詳述するとおり、マウス可変流域のcDNAとヒト定常領域のcDNAとを直接結合した、エンハンサーを含まないキメラ遺伝子をハイブリドーマに導入し、マウス-ヒトキメラモノクローナル抗体を産生させることのアイデアを開示しているにすぎないのである。

1 まず、審決は、引用例発明について、「そうすると、『マウス可変領域をヒト定常領域に結合させて』とは、『マウスの抗体産生細胞のDNAから単離した活性なVHとVL遺伝子、及び、ヒトDNAから単離したCHとCL遺伝子を、VLの下流にCLを結合させて配列し、VHの下流にCHを結合させて配列した』と解される。」(審決書8頁9~15行)と認定するが、引用例には、「マウス可変領域」及び「ヒト定常領域」のそれぞれの領域がどのような配列からなるものであるかの説明がなく、ましてマウス及びヒトのDNAから単離した遺伝子であることの明示も示唆もないから、この認定は誤りである。

審決は、上記認定の理由として、引用例に「免疫グロブリン遺伝子は可変領域Vと定常領域Cとからなる重鎖及び軽鎖からなること」及び「ハプテンである2,4,6トリニトロフェニル(TNP)に特異的なマウスの可変領域をヒトの定常領域遺伝子に結合させて構成したキメラ遺伝子」の記載がある(審決書8頁1~7行参照)ことから、引用例発明の「マウス可変領域をヒト定常領域遺伝子に結合させて」は、本願発明の「マウスの抗体産生細胞のDNAから単離した活性なVHとVL遺伝子、及び、ヒトDNAから単離したCHとCL遺伝子を、VLの下流側にCLを結合させ配列し、VHの下流側にCHを結合させて配列した」構成に相当すると解している。

たしかに、免疫グロブリン遺伝子が、定常領域と可変領域とを有する重鎖及び軽鎖からなることは当然であるが、引用例発明には、マウスから単離される可変領域の遺伝子がどのような細胞から単離されたのか(由来の細胞)が明示されていないし、マウス及びヒトから単離された遺伝子が具体的にどのような構成のものであるのか、単離された遺伝子をベクターにどのように組み込まれるかも明示されていない。

しかも、引用例の発行時の遺伝子組換え技術の水準からすると、前記可変領域の遺伝子とは、可変領域のcDNAと考えるのが技術常識であり、同様に、ヒトから単離される定常領域の遺伝子も、定常領域のcDNAと考えるのが技術常識である。

したがって、引用例発明では、発現ベクターに対し、マウスからの可変領域のcDNAとヒトからの定常領域のcDNAとが直接結合した、一体の「キメラ遺伝子」が組み込まれる技術を開示しているにすぎない。このようなイントロンを含まないcDNAを用いる遺伝子の組換えは、遺伝子を構成するエキソン成分及びその配列をあらかじめ解析し、それに基づいて人工的に、解析されたエキソン成分を解析された配列に従ってつなぎ合わせてcDNAを構築し、それをベクターにより宿主細胞中に導入するものである。

これに対して、本願発明においては、可変領域を単離する細胞がマウスの抗体産生細胞であることと、単離した可変領域が活性なVHとVL遺伝子であることを明示し、また、ヒトDNAから単離される定常領域については、エンハンサー部分を含むものであることを、特許請求の範囲において明記している。そして、マウスから単離した可変領域遺伝子とヒト定常領域から単離した遺伝子とを、エンハンサーを含むイントロンを介して結合した遺伝子として構築し、該遺伝子を遺伝子発現ベクターに挿入したものを宿主細胞に導入するものである。

この宿主細胞は、引用例発明のような「ハイブリドーマ」とは細胞の種類が異なり、かつ、キメラモノクローナル抗体産生の機能においてハイブリドーマと同等であることの記載もない形質細胞腫であるところ、本願発明は、これに発現ベクターを導入し、スプライシングによる遺伝子組換えによってキメラモノクローナル抗体産生遺伝子を形成するものである。この結果、本願発明の遺伝子組換えは、前記のようなcDNAを用いる場合の煩雑な工程をなくすことができるという顕著な効果を奏するものである。

したがって、審決が、引用例について、「『マウスの抗体産生細胞のDNAから単離した活性なVHとVL遺伝子、及び、ヒトDNAから単離したCHとCL遺伝子を、VLの下流側にCLを結合させて配列し、VHの下流側にCHを結合させて配列して発現ベクターに挿入し、該発現ベクターを形質細胞腫に導入してなるマウス由来の可変領域とヒト由来の定常領域からなるキメラモノクローナル抗体の製造方法。』が記載されていると認められる。」(審決書8頁16行~9頁4行)と認定したことは、「マウス及びヒトのDNAから単離した遺伝子」を用いることの記載がない以上、誤りといえる。

2  審決は、引用例発明における「人間の定常領域とマウスの可変領域を組み立てたキメラ免疫グロブリン」が、本願発明における「マウス由来の可変領域とヒト由来の定常領域からなるキメラモノクローナル抗体」に相当すると認定している(審決書7頁14~20行)が、引用例発明においては、重鎖も軽鎖もキメラからなる完全なキメラモノクローナル抗体を製造することのアイデアが開示されているものではないから、上記認定は誤りである。

すなわち、引用例には、「遺伝子組み換え技術は、ヒトの定常領域とマウスの可変領域から組み立てられたキメラ免疫グロブリン遺伝子(chimeric immunoglobulingenes )の利用の可能性を想起させている。この目的のために、我々は、ハプテンである2,4,6-トリニトロフェニル(TNP)に特異的なマウスの可変領域がヒトの定常領域遺伝子に結合されるキメラ遺伝子(chimeric genes)であるモデル系を設定してきた。そのような遺伝子(such a gene )を適当な突然変異ハイブリドーマ(ミュウタントハイブリドーマ)細胞に組み込まれたとき、機能性あるTNP特異的な抗体の産生が回復する。」(審決書4頁8~16行参照)と記載されており、免疫グロブリンの遺伝子は2つの遺伝子(重鎖及び軽鎖)から構成されるが、ミュウタントハイブリドーマに導入されるのはその内の1つの遺伝子と認められる。そして、引用例発明は、この1つの遺伝子をミュウタントハイブリドーマに導入することにより、その抗体産生能を回復させ、機能性あるTNP特異的な抗体を製造しようというものである。

したがって、導入される遺伝子に対応して、重鎖又は軽鎖の一方はキメラ構造になるが、導入されなかった遺伝子に対応するものはキメラ構造とはならないから、重鎖も軽鎖もキメラ構造からなる完全なキメラモノクローナル抗体が産生されるとは認定できない。

3  審決は、引用例発明における「ハイブリドーマ」(正確には、単なるハイブリドーマではなく、ミュウタントハイブリドーマである。)が、本願発明における「形質細胞腫」に相当すると認定している(審決書7頁14~20行)。

しかし、「ハイブリドーマ」がどのような細胞を組み合わせて作られたものであるのか明瞭にされていないし、また、これがどのような特性を持つものかの説明もなく、さらに、本願発明で使用している形質細胞種をミュウタントハイブリドーマの原料とすることの明記もないので、上記認定は誤りである。したがって、審決が、引用例発明について、本願発明と同様に、「発現ベクターを形質細胞腫に導入してなる」(審決書9頁1~2行)と認定したことも誤りといえる。

なお、引用例にアイデアを公表した研究者らが、本願出願後、具体的な遺伝子組換え技術を公表した文献(甲第9号証、以下「本件文献」という。)には、「完全なキメラIgMを製造するために、我々は、ベクターpN・χ-κTNPおよびpN・χ-μTNPを共に細胞系、Sp2/0(参考文献10)、これはイムノグロブリンの重鎖も軽鎖も産生(製造)しない、に導入した。形質転換したものは、薬剤G418に対して耐性のものが選択され、TNP-特異性IgMの産生を試験した。前記特異性は、TNP-結合羊赤血球細胞(TNP-SRBC)の凝集能により測定した。安定なG418に対して耐性形質転換体が形成される頻度は、10-3であった。」と記載されており、2つのベクターを導入する遺伝子組換え技術におけるベクターを導入するハイブリドーマSp2/0は、軽鎖も重鎖も産生しない細胞であるとされているところ、本願発明の実施例で用いられるベクターを導入する形質細胞腫(P3U1株)は、軽鎖又は重鎖の少なくとも一方を産生する細胞であるから、両者は導入する細胞の性質が全く異なることが明らかである。

2  相違点①についての判断誤り(取消事由2)

審決は、相違点①について、「イントロンはその左右末端に存在する生物の種間で高度に保存されたドナースプラスサイトとアクセプタースプライスターサイトにより、正常な遺伝子にスプライシングされることが本願出願前に一般的に知られていた。(Ann.Rev.Biochem.,vol.50,p.349-383(1981) 及びAnn.Rev.Biochem.,vol.52,p.441-466(1983)参照)(以下、それぞれ刊行物A、刊行物Bという。)また、異なる由来の遺伝子のエクソンをイントロン部で各々のドナースプライスサイト及ぴアクセプタースプライスサイトを残して連結し、キメラ遺伝子をスプライシングにより形成することは、下記刊行物2~刊行物4に記載されているように本出願前周知の技術的事項であると認められる。」(審決書10頁2~16行)と判断している。

しかし、引用例発明は、前述したとおり、マウスからの可変領域のcDNAとヒトからの定常領域のcDNAが直接結合した、イントロンを含まないcDNAを用いる遺伝子の組換えの技術を開示しているにすぎないから、イントロンのスプライシングサイトの配列を記載している上記刊行物A、B(本訴甲第7、第8号証。以下「周知例4」「周知例5」という。)及び刊行物2~4(周知例1~3、本訴甲第4~6号証)によって、相違点①についての容易性を説明することはできない。

しかも、審決が引用する周知例1~5には、キメラタンパクに対応する遺伝子を作るための技術において、それぞれのタンパク質に対応する遺伝子のスプライジングサイトの共通配列について記載されているすぎず、キメラ抗体に関するものではないから、スプライシングの技術が本願発明と相違する。例えば、周知例3に記載のものは、キメラ抗体ではなくキメラタンパクであり、定常部の遺伝子として軽鎖の遺伝子を用いているから、免疫グロブリンとしての機能を全く期待できないものであり、本願発明のように、重鎖も軽鎖もそれぞれがキメラ配列からなる完全なキメラモノクローナル抗体を製造する方法に適用されるスプライシングを伴う一般的遺伝子組換え技術を教示しているものではない。

そして、本願発明は、「遺伝子の配列構造及びスプライシングの仕方を詳細に解明する必要がなく、重鎖も軽鎖もそれぞれがキメラ配列からなる完全なキメラモノクローナル抗体を製造する方法」を発見したことに特徴があるのであるから、前記周知例に記載された技術を考慮しても、本願発明を容易に想到し得たものとはいえない。

3  相違点②についての判断誤り(取消事由3)

審決は、相違点②について、「C領域とV領域の間にエンハンサー部が存在し、このエンハンサー部は、発現効率を向上させる作用を有することは、本出願前より周知(重鎖エンハンサー部については、上記拒絶理由通知に示した【I】 et a1.,Ce11,vo1.33,p.729-740(1983)(刊行物5)、【J】 et a1.,Cell,vol.33,p.717-728(1983)(刊行物6)、【K】 et al.,Nature,vol.306,p.806-812(1983)(刊行物7)、【L】 et a1.,Nature,vol.307,p.334-340(1984Jan)(刊行物8)を参照されたい。軽鎖エンハンサー部については、上記拒絶理由通知に引用された、上記刊行物、;【M】 et al.,Nature,voL.304,p.447-449(1983)(刊行物9)、【N】 et al.,Nature,vol.307,p.80-81(1984 Jan)(刊行物10)を参照されたい。)である。」(審決書15頁4~17行)と判断している。

しかし、審決の引用する上記刊行物5~10(本訴甲第10~第15号証。以下「周知例6」~「周知例11」という。)には、免疫グロブリン(キメラではない。)の重鎖及び軽鎖において可変領域と定常領域の間にエンハンサーが存在することを記載するのみで、このことを、スプライシングを伴う重鎖も軽鎖もそれぞれがキメラ配列からなる完全なキメラモノクローナル抗体を製造する方法に適用することの説明が全くない。

したがって、引用例発明に開示された技術の認定に誤認がないものと仮定し、前記各周知例に記載の技術を考慮したとしても、本願発明のスプライシングを伴う重鎖も軽鎖もそれぞれがキメラ配列からなる完全なキメラモノクローナル抗体を製造する方法は、容易に想到し得たものではない。

第4被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であり、原告主張の取消事由は、いずれも理由がない。

1  取消事由1について

引用例発明は、以下に述べるとおり、その出願当時の技術水準を考慮すれば、そこに開示されたキメラ抗体を得ることができるから、当業者が実施できる程度に具体的な開示のある発明といえる。

1 原告は、引用例発明において、結合されるそれぞれの遺伝子がマウス及びヒトDNAから単離したものであるとの認定は誤りであると主張する。

しかし、引用例発明の「マウスの可変領域」及び「ヒトの定常領域」がどのように取得されたものであるにせよ、遺伝子はすべて細胞内のDNAに保存されていることは技術常識であるから、結果的にDNAから単離されたものといえる。しかも、引用例発明の「マウス可変領域」「ヒト定常領域」は、細胞のDNA、すなわち、ゲノムDNAから取得されたと解すのが最も自然である。また、原告は、当該領域がどのような配列からなるものか説明がない旨を主張するが、引用例には「ヒトの定常領域とマウスの可変領域から組み立てられたキメラ免疫グロブリン遺伝子」と記載されおり、定常領域と可変領域の配置は、可変領域の下流に定常領域が位置することが技術常識であることを勘案すると、これら領域の配置は引用例に記載されているに等しいことである。そして、本願発明の明細書にもDNA配列の具体的説明がないように、該領域さえ取得できれば、実施できるのである。

また、原告は、引用例の発行時の遺伝子組換え技術の水準からすると、可変領域の遺伝子及び定常領域の遺伝子が、cDNAと考えるのが技術常識である旨を主張するが、どのような技術水準を根拠にしているのか不明である。

むしろ、引用例の発行時には、抗体遺伝子についてもゲノムDNAから蛋白質の製造が行われていた(周知例3、6及び乙第1~第4号証)のであって、当時の技術水準においてゲノムDNAを使用することは慣用されていた。そして、イントロンが除去されないと抗体が製造されないから、このことは、ゲノムDNAを宿主細胞に組み込むと、宿主細胞自身がスプライシングによりゲノムDNAに含まれているイントロンを除去して抗体を製造していたことを意味する。

このように、イントロンを含むゲノムDNAによる抗体の生産が慣用されていた以上、引用例発明の遺伝子がcDNAに由来すると断定することはできない。そして、イントロンを含むゲノムDNAをそのまま真核生物の細胞に組み込めば、イントロンが自動的に除去されエクソン部分同士がつなぎ合わされる(スプライシングされる。)ことになり、わざわざエキソンをつなぎ合わせるという作業は全く必要ない。

したがって、本願発明が、「エクソンをつなぎ合わせるような複雑な工程をなくすことができる顕著な効果がもたらす」という原告の主張は失当である。

2 原告は、引用例発明において、ミュータントハイブリドーマに導入する遺伝子は、1つの遺伝子(a gene)であり、イムノグロブリンを構成する2つの遺伝子(重鎖及び軽鎖)を導入していない旨主張する。

しかし、抗体というものは、重鎖と軽鎖の両者が存在して初めて機能を奏するのであって、重鎖及び軽鎖の一方のみでは、機能性のある特異的な抗体とはならない。引用例においても、「そのような遺伝子が適当なミュータント(突然変異)ハイブリドーマに組み込まれたとき、機能性TNP特異的な抗体の産生が回復する。」(甲第3号証22~23行)と記載されており、「機能性TNP特異的な抗体」とは、機能を奏する抗体であるから、重鎖と軽鎖を有する抗体と同じ意味である。したがって、重鎖及び軽鎖の遺伝子が導入されたことは明らかであり、原告の主張は根拠のないものである。

3  キメラ抗体を発現させる宿主細胞としては、形質細胞腫に限らずCOS細胞、腎細胞等の様々な種類の細胞が使用可能であり、このことは、本願発明の明細書に出願当初から抗体産生能力の明らかにない腎細胞、L細胞、COS細胞、HeLa細胞を宿主として例示しているように、出願人(原告)自身も認めていたことであって、特別なミュータントハイブリドーマでなくともキメラ抗体は発現可能であるから、ミュータントハイブリドーマの性質が記載されていなくとも、当業者は引用例発明を実施できるのである。

本来、抗体を産生する能力は、抗体遺伝子の組換えによる導入という技術によって与えられるものであって、宿主自体が抗体を産生する能力を有するか否かとは関係ない事項である。そして、外来抗体遺伝子を組換えにより導入することにより、ハイブリドーマに抗体産生能力を与え得ることは技術水準となっていたのである(乙第1、第2号証)。

また、原告は本件文献を提示して、そこに記載されたハイブリドーマSp2/0株と本願発明の実施例で使用された形質細胞腫P3U1株を対比しているが、本件文献は、直接、引用例と関係ないものであり、的外れな主張である。仮に、何らかの関連があるとしても、本願発明の構成要件によれば、形質細胞腫であればよいのであって、実施例で使用された突然変異形質細胞腫に限定されるものではない。

しかも、引用例にはミュータントハイブリドーマと記載されているが、ミュータントハイブリドーマでなくとも外来抗体遺伝子由来の抗体を産生できるのであって、特別なハイブリドーマでしかこれを実施できないものではないのである。

2  取消事由2について

周知例1~3に記載された、アクセプターサイト及びドナーサイトは、非常に類似する配列の特徴が見い出され、コンセンサス配列と呼ばれており、両サイトのコンセンサス配列は、周知例4、5に提示されるとおり、実際には多数種の配列が存在する。

そして、周知例2では、コンセンサス配列であれば、多数種存在するドナーサイトとアクセプターサイトの組合せが異なってもスプライシングが行われる現象が報告されており、これに基づき、「ある遺伝子からのドナーサイトが他の遺伝子のアクセプターサイトでスプライシングされる」(甲第5号証379頁左欄7~10行)と記載され、コンセンサス配列でありさえすればアクセプターサイトとドナーサイトの組合せによらず、スプライシングが起きるという仮説が立証されているのである。この仮説は、周知例1、3により、他の遺伝子においても正しいことが証明されている。

以上のように、本願出願時には、抗体遺伝子であれ他の遺伝子であれ、アクセプターサイトとドナーサイトさえあれば、キメラ遺伝子が「スプライシング現象を伴う遺伝子組換えにより形成される」ことは技術常識となっていたのであり、引用例発明に、周知例1~3に記載された周知のキメラ遺伝子を作成する技術的事項を採用し、本願発明のような製造方法を想到することに、何の困難性もないのである。

原告は、周知例1~3に記載のものは、キメラ抗体に関するものではない旨を主張するが、遺伝子にスプライシングが偶然起きた特殊な例がこれら周知例に記載されているのではない。例えば、周知例2に、「我々は、スプライシングはドナー及びアクセプターの広い範囲にわたって起き得ると結論を出した。」(甲第5号証381頁24~26行)と記載されているように、一般的なキメラ遺伝子のスプライシングにも適用可能な技術が開示されている。

しかも、本願発明の特許請求の範囲に記載されたものは、種は異なるが同じ哺乳類であり、かつ、同じ抗体遺伝子から作成された遺伝子を発現ベクターに挿入したものであるところ、当業者であれば、このような遺伝子から作成されたもののアクセプターサイトとドナーサイトは、周知例1、2に記載されたものほど異ならないと考えるのが普通である。そして、周知例1、2のように、生物種も異なれば遺伝子の種類も全く異なるものでさえ正常にスプライシングされたのであるから、本願発明のように発現ベクターを作れば、キメラ遺伝子が「スプライシング現象を伴う遺伝子組換えにより形成される」ことは十分予測できたものである。

3  取消事由3について

本願出願前に重鎖及び軽鎖に存在するエンハンサーの位置が特定され単離されていたことは、審決において周知例6~11を引用して示したところである。

そして、エンハンサーは、遺伝子の種類とは無関係に作用するものである(乙第11号証1599頁「要約」の欄)から、キメラ抗体遺伝子自体にこの技術を適用することを妨げる要因は存在しない。また、キメラ抗体といえど、抗体遺伝子を材料にして得られたものである以上、抗体遺伝子がそもそも有するエンハンサーを使用すれば自然な遺伝子の発現が期待できることは、当業者であれば容易に思い至ることであり、種々あるエンハンサーの内から抗体遺伝子の有するエンハンサーを選ぶことも、普通に当業者が選び得る選択枝の1つにすぎない。

したがって、周知例6~11に記載のエンハンサーを、引用例発明のベクターに採用し、「エンハンサー部が含まれるように発現ベクターを構成する」ことは、当業者が容易になし得たものである。

第5当裁判所の判断

1  取消事由1(一致点の誤認)について

審決の理由中、本願発明の要旨の認定、引用例及び周知例1~3の各記載事項の認定、引用例発明の認定の一部(審決書8頁1~9行)は、当事者間に争いがない。

1 原告は、引用例発明について、審決が、「『マウス可変領域をヒト定常領域遺伝子に結合させて』とは、『マウスの抗体産生細胞のDNAから単離した活性なVHとVL遺伝子、及び、ヒトDNAから単離したCHとCL遺伝子を、VLの下流側にCLを結合させて配列し、VHの下流側にCHを結合させて配列した』と解される。」(審決書8頁9~15行)と認定したことについて、引用例にマウス及びヒトのDNAから単離した遺伝子であることの明示も示唆もないから、引用例発明においてハイブリドーマに導入される遺伝子は、一体の「キメラ遺伝子」であり、上記認定が誤りであると主張する。

しかしながら、本願出願前から、TNP特異的マウス可変領域のイントロンを含むゲノムDNAが単離されること(乙第1、第2号証)、ヒト定常領域のイントロンを含むゲノムDNAが単離されること(乙第8、第9号証)、一般的に可変領域からゲノムDNAが単離されること(乙第3~第6号証)は、いずれも多数の学術論文に開示される周知の技術であったと認められ、結合すべき遺伝子をマウス及びヒトのゲノムDNAから単離することは、慣用されていた技術と認められる。

したがって、引用例発明の「マウス可変領域」「ヒト定常領域」は、一体の「キメラ遺伝子」としてではなく、それぞれの細胞のDNA、すなわち、ゲノムDNAから単離して取得されたものと解するのが、最も自然なことと認められるから、前記の審決の認定に誤りはなく、原告の主張を採用する余地はない。

また、原告は、当該各領域がどのような配列からなるものか説明がない旨を主張しているが、引用例発明は、ヒトの定常領域とマウスの可変領域から組み立てられたキメラ免疫グロブリン遺伝子であることが明らかであり、定常領域と可変領域の配置について、可変領域の下流に定常領域が位置することは技術常識であるから、当該各領域の配置は、引用例発明に開示されているに等しいものと認められる。しかも、本願発明にもDNA配列の具体的説明がないように、該領域さえ取得できれば、遺伝子の組換え等は実施できるのであるから、いずれにしても、上記主張は失当といわなければならない。

さらに、原告は、引用例の発行時の遺伝子組換え技術の水準からすると、可変領域の遺伝子及び定常領域の遺伝子が、いずれもcDNAと考えるのが技術常識であると主張する。

しかし、原告の上記主張を裏付ける客観的資料は示されておらず、むしろ、前示のとおり、本願出願前から、マウス可変領域のイントロンを含むゲノムDNAが単離されることと、ヒト定常領域のイントロンを含むゲノムDNAが単離されることが、いずれも周知・慣用の技術と認められ、引用例発明の「マウス可変領域」「ヒト定常領域」も、イントロンを含むゲノムDNAから単離して取得されたものと解するのが自然なことと認められるから、原告の主張は採用することができない。

したがって、審決が、引用例について、「『マウスの抗体産生細胞のDNAから単離した活性なVHとVL遺伝子、及び、ヒトDNAから単離したCHとCL遺伝子を、VLの下流側にCLを結合させて配列し、VHの下流側にCHを結合させて配列して発現ベクターに挿入し、該発現ベクターを形質細胞腫に導入してなるマウス由来の可変領域とヒト由来の定常領域からなるキメラモノクローナル抗体の製造方法。』が記載されていると認められる。」(審決書8頁16行~9頁4行)と認定したことに誤りはない。

2 原告は、グロブリンを構成する2つの遺伝子(重鎖及び軽鎖)のうち、引用例発明において、ミュウタントハイブリドーマに導入されるのはその内の1つの遺伝子(a gene)と認められるから、導入されなかった遺伝子に対応するものはキメラ構造とはならないのであり、重鎖も軽鎖もキメラ構造からなる完全なキメラモノクローナル抗体が産生されるとは認定できないと主張する。

しかし、本来、抗体は、重鎖と軽鎖の両者が存在して初めて機能を奏するものであり、通常は、重鎖及び軽鎖の一方のみでは、機能性のある特異的な抗体とはならないことは技術常識といえる。

また、引用例に、「DNA組換え技術は、ヒトの定常領域とマウスの可変領域を組み立てたキメラ免疫グロブリン遺伝子使用の可能性を提起した。このため、我々は、ハプテンである2,4,6トリニトロフェニル(TNP)に特異的なマウス可変領域をヒト定常領域遺伝子に結合させて構成したキメラ遺伝子によるモデル系を作った。当該遺伝子は、適当な変異ハイブリドーマに導入されたとき、機能するTNP特異的抗体産生が回復される。」(審決書4頁8~16行)との記載があること、「免疫グロブリン遺伝子は、可変領域Vの下流に定常領域Cが並ぶ重鎖遺伝子Hと軽鎖遺伝子Lで構成され、これら双方が存在しなくては免疫グロブリンを構成できないから、刊行物1記載の『ハプテンである2,4,6トリニトロフェニル(TNP)に特異的なマウス可変領域をヒト定常領域遺伝子に結合させて構成したキメラ遺伝子』とは、重鎖遺伝子と軽鎖遺伝子双方についてまとめて記載されているものと認められる。」(同8頁1~9行)ことは、当事者間に争いがない。

そうすると、引用例発明は、ハプテンに特異的なマウスの可変領域がヒトの定常領域に結合したものからなる複数のキメラ遺伝子により構成される1つのモデル系を確立したものと認められ、そのような遺伝子が適当なミュータント(突然変異)ハイブリドーマに組み込まれたとき、機能性TNP特異的な抗体の産生が回復するのであるから、機能を奏する抗体とは、すなわち、重鎖と軽鎖を有する抗体を意味しているものと解するのが相当といわなければならない。

しかも、引用例を公表した研究者が、その後、引用例発明をより具体的に研究発展させて発表したものと認められる本件文献(甲第9号証、なお、同号証の646頁6行に「1984年7月2日提出、9月5日受理」と記載されており、同文献は、本願出願前に提出されているものと認められる。)には、「ハプテントリニトロフェニル(TNP)に対して特異的なマウスの可変領域をコードするDNAセグメント(注、DNAseguments)をヒトのμおよびκ定常領域をコードするセグメントに結合させて、イムノグロブリン遺伝子を構築した。これらのキメラ遺伝子は、機能性のTNP結合キメラIgMを発現させる。」と記載されており、発現した機能性のTNP結合キメラIgMがマウスの可変領域をコードする複数のDNAセグメントを、ヒトのμ及びκ定常領域をコードするセグメントに結合させたものであり、重鎖と軽鎖を有する抗体であることが開示されているから、このことからも、引用例発明に重鎖及び軽鎖の遺伝子が導入されているものと認められる。

したがって、引用例発明における「人間の定常領域とマウスの可変領域を組み立てたキメラ免疫グロブリン」が、本願発明における「マウス由来の可変領域とヒト由来の定常領域からなるキメラモノクローナル抗体」に相当するとの審決の認定(審決書7頁14~20行)に誤りはなく、これに反する原告の主張は採用できない。

3  原告は、引用例発明における「ハイブリドーマ」が、本願発明における「形質細胞腫」に相当すると審決が認定した(審決書7頁14~20行)ことについて、「ハイブリドーマ」がどのような細胞を組み合わせて作られたものであるのか明瞭にされていないし、これがどのような特性を持つものかの説明もなく、本願発明で使用している形質細胞種をミュウタントハイブリドーマの原料とすることの明記もないので、上記認定は誤りであると主張する。

しかし、原告自身が、本願発明の公告時の明細書(甲第2号証の1、以下「公告明細書」という。)において、「動物培養細胞には、ヒト、サル、マウス等の動物に由来するリンパ腫を、腎細胞、L細胞、COS細胞、HeLa細胞の何れかを用いることができる。」(同号証の1・3欄42行~4欄1行)と記載したように、キメラ抗体を発現させる宿主細胞としては、形質細胞腫に限定されず、抗体生産能力のない腎細胞、COS細胞等の様々な種類の細胞が使用可能であり、その結果、外来抗体遺伝子由来の抗体を産出できることは、技術常識といえるものである。

したがって、特殊なミュータントハイブリドーマでなくともキメラ抗体は発現可能であり、引用例にミュータントハイブリドーマの性質等が開示されていなくとも、当業者が引用例発明を実施できることは明らかと認められる。

また、原告は、本件文献(甲第9号証)の記載に基づき、引用例発明のハイブリドーマSp2/0が、軽鎖も重鎖も産生しない細胞であるとされているところ、本願発明でベクターを導入する形質細胞腫は、その実施例において軽鎖又は重鎖の少なくとも一方を産生する細胞であるから、両者は導入する細胞の性質が全く異なると主張する。

しかし、上記公告明細書に記載されるように、抗体生産能力のない腎細胞、COS細胞等の様々な種類の細胞が宿主細胞として使用可能であり、また、本来、抗体を産生する能力のない細胞でも、外来抗体遺伝子の導入により抗体産生能力を獲得することは技術常識と認められる(乙第1、第2号証)。したがって、抗体遺伝子の導入前に、引用例発明のハイブリドーマが軽鎖及び重鎖を産生しない細胞であり、本願発明の実施例における形質細胞腫が軽鎖又は重鎖の一方を産生する細胞であるとしても、抗体遺伝子の導入後は、いずれも軽鎖及び重鎖を有する抗体を産生する能力を獲得するものと認められるから、その点において相違はなく、原告の主張は失当といわなければならない。

したがって、引用例発明のハイブリドーマが形質細胞種と相違することを理由に、引用例発明には発現ベクターを形質細胞種に導入することの開示がないとする原告の主張も採用の余地がない。

以上の認定事実及び説示に照らすと、引用例発明には、当業者が容易に実施できる程度に具体的な開示があると認められるから、これが未完成発明であって、マウス可変流域のcDNAとヒト定常領域のcDNAとを直接結合した、エンハンサーを含まないキメラ遺伝子をハイブリドーマに導入し、マウス-ヒトキメラモノクローナル抗体を産生させることのアイデアを開示しているにすぎない旨の原告の主張が採用できないことも明らかといえる。

2  取消事由2(相違点①についての判断誤り)について

本願発明と引用例発明とが、「VLとCL及びVHとCHの配列の仕方について、本願発明が、VLの下流にCLを、VHの下流にCHをそれぞれ配列して発現ベクターに挿入し、ここにおいてキメラ抗体産生遺伝子をスプライシングにより形成するのに対して、刊行物1記載の発明は、VLの下流側にCLを結合させて配列し、VHの下流側にCHを結合させて配列するとは記載されているものの、キメラ抗体産生遺伝子をスプライシングにより形成するように配列されているか記載されていない点」(審決書9頁7~16行)で相違すること(相違点①)は、当事者間に争いがない。

原告は、引用例発明が、マウスからの可変領域のcDNAとヒトからの定常領域のcDNAが直接結合した、イントロンを含まないcDNAを用いる遺伝子の組換えの技術を開示しているにすぎないことを前提として、イントロンのスプライシングサイトの配列を記載している周知例1~5によって、相違点①についての容易性を説明することはできないと主張する。

しかし、引用例発明の「マウス可変領域」「ヒト定常領域」が、イントロンを含むそれぞれのゲノムDNAから単離して取得されたものと認められることは、前示のとおりであるから、原告の主張はその前提において誤りがあり、これを採用する余地はない。

そして、引用例発明の「マウス可変領域」「ヒト定常領域」が、イントロンを含むゲノムDNAから単離して取得されたものである以上、抗体を製造するために、通常、イントロンを除去する必要があることは明らかであり、これのために引用例発明では、イントロンを除去する真核生物からなるハイブリドーマを宿主細胞として採用し、これに組み込むことにより、宿主細胞自身がスプライシングによりイントロンを除去して抗体を製造するものであろうと解するのが合理的といわなければならない。

ところで、周知例1~3(甲第4~6号証)によれば、アクセプターサイト及びドナーサイトとは、イントロンの両末端(エクソンとの境界部位)に存在するもので、5'末端側がドナーサイト、3'側がアクセプターサイトと呼ばれており、これらの部位は、多くのイントロンの配列を調査した結果、非常に類似する配列の特徴が見い出され、コンセンサス配列と呼ばれていたものと認められる。また、両サイトのコンセンサス配列は、周知例4、5(甲第7、第8号証)に提示されるとおり、本願出願前から知られており、実際には多数種の配列が存在するものと認められる。

しかも、審決が認定するように、周知例4及び5により、「イントロンはその左右末端に存在する生物の種間で高度に保存されたドナースプラスサイトとアクセプタースプライスターサイトにより、正常な遺伝子にスプライシングされること」(審決書10頁2~6行)が、本願出願前に一般的に知られており、周知例1~3により、「異なる由来の遺伝子のエクソンをイントロン部で各々のドナースプライスサイト及びアクセプタースプライスサイトを残して連結し、キメラ遺伝子をスプライシングにより形成すること」(同10頁10~13行)も、本願出願前、周知の技術的事項であると認められるから、引用例発明自体から、キメラ抗体産生遺伝子をスプライシングにより形成する製造方法が明らかでないとしても、当業者が、これらの周知慣用の技術を用いてスプライシングを行うことに格別の困難性が認められるものではない。

原告は、周知例1~5には、キメラタンパクに対応する遺伝子を作るための技術において、それぞれのタンパク質に対応する遺伝子のスプライジングサイトの共通配列について記載されているすぎず、これらはキメラ抗体に関するものではないと主張する。

この点について、周知例2(甲第5号証)には、「2つそれ以上のドナーサイトが共通のアクセプターサイトでスプライスされるというスプライシングパターンの例がある。・・・このようなドナーサイトの配列が、ドナーコンセンサス配列という関係の他に特別な関係があるとは思えない。同様に、2又は複数のアクセプターサイトが共通のドナーサイトでスプライシングされるというスプライシングパターンの例もある。・・・これらの観察は、ある遺伝子からのドナーサイトが他の遺伝子のアクセプターサイトでスプライシングされるという仮説を支持するが、証明はしていない。ここに記述された実験は、この仮説を試験したものである。」(同号証抄訳)、「我々は、SV40とMβGキメラ遺伝子が、SV40のドナーとMβGのアクセプターを用いて適切にスプライスされ転写されたことを示した。使用されたエクソンはサルのウイルスとマウスというこのような異なる由来から得られたものであり、かつ、両アクセプターサイト及び両ドナーサイト間の配列の類似性はほとんど見いだされなかった(第1図参照。)ので、我々は、スプライシングはドナー及びアクセプターの広い範囲にわたって起き得ると結論を出した。」(同)と記載されている。

これらの記載によれば、周知例2では、多数種存在するドナーサイトとアクセプターサイトのコンセンサス配列について、その組合せが異なっても、コンセンサス配列であればスプライシングが起きるという仮説が提示され、その仮説の証明のために実験が行われたところ、SV40ウイルスの遺伝子とマウスの遺伝子という全く異なる生物の遺伝子についても、スプライシングが行われ、そのイントロンが宿主細胞内で正確に除去されるという結果が得られたものと認められる。

したがって、生物の種に関係がなくとも、あるいは、ドナーサイト同士の類似性及びアクセプターサイト同士の類似性がなくとも、コンセンサス配列の範疇に入るものであれば、真核生物の宿主細胞内でスプライシングが起きるものと認められる。

また、周知例1(甲第4号証)においては、SV40のT抗原遺伝子とマウスβグロビン遺伝子及びSV40のT抗原遺伝子とラットプレプロインシュリンという、生物種も異なれば遺伝子の種類も全く異なるものが、正常にスプライシングされており、周知例3(甲第6号証)においても、マウス骨髄腫細胞において、別個の個体から得られた異なる遺伝子を利用して、キメラ遺伝子のイントロンが除去されてスプライシングされているのであるから、本願出願時には、アクセプターサイトとドナーサイトというコンセンサス配列を有するキメラ遺伝子であれば、スプライシング現象を伴う遺伝子組換えにより形成されることは周知技術となっていたものと認められる。

そして、当業者が、このような遺伝子組換えにおける一般的な周知技術を適用するに当たり、本願発明や引用例発明のようなキメラ抗体遺伝子だけを除外するような特段の理由もないから、周知例1~3がキメラ抗体に関するものでないことを理由として、スプライシングの技術が本願発明と相違するとする原告の上記主張は到底採用できない。また、周知例3がキメラ抗体ではなくキメラタンパクに関するものであり、定常部の遺伝子として軽鎖の遺伝子を用いているとしても、キメラ抗体を製造する方法に適用されるスプライシングを伴う一般的遺伝子組換え技術を教示していることは明らかであるから、この点に関する原告の主張も採用の余地はない。

しかも、引用例発明は、ヒトとマウスという同じ哺乳類から得られた遺伝子について、同じ抗体遺伝子から作成された遺伝子を発現ベクターに挿入したものであるから、当業者は、同発明におけるアクセプターサイトとドナーサイトとが大きく相違しないと推測するであろうし、前示のとおり、周知例1及び2においては、生物種も異なれば遺伝子の種類も全く異なるものでさえ正常にスプライシングされたのであるから、引用例発明について、上記の周知技術を適用し、キメラ抗体遺伝子をスプライシング現象を伴う遺伝子組換えにより形成する本願発明のような製造方法を、容易に想到できるものといわなければならない。

以上のとおり、相違点①に関する審決の判断(審決書10頁1行~15頁1行)に誤りはない。

3  取消事由3(相違点②についての判断誤り)について

本願発明と引用例発明とが、「本願発明が、エンハンサー部が含まれているのに対して、刊行物1記載の発明においては、それが記載されていない点」(審決書9頁17~19行)で相違すること(相違点②)は、当事者間に争いがない。

そして、審決が認定するように、「C領域とV領域の間にエンハンサー部が存在し、このエンハンサー部は、発現効率を向上させる作用を有すること」(審決書15頁4~行)は、重鎖エンハンサー部については周知例6~9により、軽鎖エンハンサー部については周知例3、10及び11により、それぞれ本願出願前より周知の技術的事項であると認められるから、引用例発明において、エンハンサー部の存在が明らかでないとしても、当業者が、これらの周知技術を適用してキメラ抗体遺伝子の製造を行うことに格別の困難性が認められるものではない。

原告は、周知例6~11が、免疫グロブリン(キメラではない。)の重鎖及び軽鎖において可変領域と定常領域の間にエンハンサーが存在することを記載するのみで、このことを、スプライシングを伴う重鎖も軽鎖もそれぞれがキメラ配列からなる完全なキメラモノクローナル抗体を製造する方法に適用することの説明が全くないから、本願発明は容易に想到し得たものではないと主張する。

このエンハンサーについて、技術雑誌である「蛋白質核酸酵素」臨時増刊’83:12「組換え遺伝子の細胞への導入と発現」(乙第11号証)には、「このようなDNA断片を他の遺伝子と連結してやると,その遺伝子の転写活性は著しく増強される。しかもその効果は,結合する方向や連結遺伝子との距離および遺伝子の種類とは無関係に現れることから,特定遺伝子の発現を増大させたいという実用的見地も加わり大きな注目を集めてきた。」(同号証1599頁「要約」の欄2~5行)、「enhancerとしてのSV40 72 bp repeat が発見されて以来,いくつかのenhancer様機能をもつDNA断片が分離同定されてきた。・・・動物細胞からもenhancer様の機能をもつDNA断片が同定されようとしている。」(同1606頁右欄13~26行)と記載されている。

これらの記載によれば、エンハンサーは、本願出願前より、遺伝子組換え技術における実用的見地から注目を集めており、遺伝子の種類に無関係に現れるものであって、遺伝子の転写活性を著しく増強するというエンハンサーの作用は、結合する方向や連結遺伝子との距離に無関係に現れるから、その位置も適宜の箇所でよいものと認められ、しかも、SV40由来のエンハンサー以外にも多数種が知られており、動物細胞からもエンハンサーが単離されつつあったことが認められる。

また、本願出願時に使用されていた実用的発現ベクターのほとんどは、SV40等のエンハンサーを組み込んだものであり、抗体遺伝子用発現ベクターとしても多数使用されているものと認められ(周知例3、乙第3、第5号証)、しかも、本願出願前に重鎖及び軽鎖に存在するエンハンサーの位置が特定され単離されていたことは、前示のとおり、周知例6~11に開示されていたものと認められる。

以上のように、エンハンサーは、遺伝子の種類とは無関係に作用するものであり、その位置も適宜の箇所でよいものと認められるから、当業者が、遺伝子の転写活性の増強という周知の技術課題の解決のため、キメラ抗体遺伝子にこの一般的技術を適用することには、格別の困難性が存在しないものと認められる。

したがって、本願発明が、重鎖も軽鎖もそれぞれがキメラ配列からなるキメラモノクローナル抗体を製造するものであることを理由に、エンハンサーの利用を容易でないとする原告の上記主張が採用できないことも明らかといわなければならない。

以上のとおり、相違点②に関する審決の判断(審決書15頁3行~16頁6行)にも誤りはない。

4  そうすると、原告主張の取消事由にはいずれも理由がなく、その他審決に取り消すべき瑕疵はない。

よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

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